おやじキャンプ飯〜和歌山編〜第3話

1. 概要

表題のYouTube短編ドラマを見た。久々に邦画の良作に出会ったので紹介する。

2. 映像作品に求めるもの

俺は映画やドラマが好きで昔からよく見ている。
映画やドラマに何を求めるかは人それぞれだが、アカデミー賞などが存在するのだから、世間的に評価される項目はあるようだ。例えば社会風刺や、感動、家族愛、ミステリー、戦争、ドキュメンタリー、etc…。

俺が映像作品に求めるのは、「経験」である。これは、自分の知らない世界を知るという意味での物理的経験と、人の心理や感情を知るという意味での精神的経験である。

昔からインドア派なこともあり、平均的に見れば世界を知らず、また人との交流も少ない人生である。おそらくはこれが遠因となって、未だ知らぬ「経験」を求め、映像作品にたどり着いたのだろう。

元来人間のコミュニケーションは言語が3割程度、残りの7割は目の動きやちょっとした仕草から情報を集めている。つまり、逆説的に考えて会話しないボッチでも7割方コミュニケーションができているということである。違うか?違うな…。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。第4話 つまり、彼は友達が少ない。

映像作品は、当然だが視聴する側から劇中の人物に何らコミュニケ―ションを取ることはできない。だから、彼らの言動から物語や心理、感情を推察するしかない。

よく見ている。君は人の心理を読み取ることには長けているな。けれど、感情は理解していない。心理と感情は常にイコールじゃない。ときに全く不合理に見える結論を出してしまうのはそのせいだ。だから雪ノ下も由比ヶ浜も、君も、間違えた答えを出す。

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「心理学」はあるが「感情学」は無いように、感情というものは理詰めで決定することはできない。それゆえ、他人の心理は理解できても、感情まで推し量ることは難しいのである。

ある映像作品が「良作だったな」と思うとき、それは、登場人物の仕草や表情によって心理描写が巧みに為されているときである。そのときには、それがカメラで撮った映像で、この物語は実在しないものであるとか、そんなことはどうでもいいくらいに、登場人物の気持ちが身に染みるのである。その映像は現実には存在しない嘘であるが、俺の中では本当の経験に他ならない。そして意図せずとも、その後の俺の在り方に影響してくるのである。

3. 作品詳細

さて、件のYouTube短編ドラマは以下である。24分と短い作品である。

図3-1:おやじキャンプ飯〜和歌山編〜第3話 @おやじキャンプ飯

こんな良作に説明を付けるのは気が引けるのだが、自称映像作品ガチ勢の自分が、感じたことを以下に列挙していく。

図3-2:コーヒーを挽くおやじ

朝のキャンプ場でコーヒーを挽くおやじ。挽き始めてすぐ手が止まり、溜息をついて宙を見上げる。この一連のシーンで、これは良作であると判断した。

今ここでこうして生活していることを考えてしまったのか、直近の出来事を思い出したのか、昔営んでいた中華料理屋のことを思い出しているのか、豆が思いのほか硬くて回すのが疲れたのか、理由は分からない。人間というものは肉体があるから、頭だけで考えることはできないのである。だから歩きながら考えたり、何か作業しながら考えたりする。彼にとっては、コーヒーを挽くのはコーヒーを飲むためというよりも、何かを考えるため、あるいは考えないようにするための行動なのかもしれない。こんな何気ない仕草一つで、ここまで物語が見えてくる。ただし、これは俺の物語であって、見る人によってどのような物語が見えるかは違うだろう。

図3-3:隣にやってきたイカツイおやじ

そんな中、隣にイカツイおやじがやってくる。この人、温水洋一氏である。こんなワイルドな恰好が似合う俳優だとは思わなかったので驚いた。

図3-4:雑誌越しに様子を伺うおやじ

ヤバい奴が来ちゃったなー、と様子を伺うおやじ。

図3-5:視線に気づくイカツイおやじ

一通りの設営が終わり、椅子に座って一息つくイカツイおやじ。そして、主人公おやじに気付く。なんやあいつは、と。

図3-6:不敵な笑みを浮かべるイカツイおやじ

主人公おやじの身なりを見ておおよそのキャンプレベルを察したのだろう。勝った、とばかりに不敵な笑みを浮かべる。

図3-7:火蓋は切って落とされた

それにブチギレたおやじ。本をそっと閉じ、相手が正面にこない位置に椅子を移動する。

図3-8:並んだおやじ達

何の会話も無いが、それぞれの心中が聞こえてくるようなシーン。これから、どちらかが何か仕掛けていくだろう。

図3-9:中華鍋を取り出したおやじ

キャンプ料理で格の違いを見せつけてやろうと考えたのだろう。中華鍋を取り出してきたのだが、

図3-10:同じく中華鍋を取り出していたイカツイおやじ

お前もか!

図3-11:料理対決 第1ラウンド開幕

勢いよく鍋を振るおやじ達。互いの鍋振りを耳で聞きつつ、鋭い視線を送る。

図3-12:すぐに食べようとはしないおやじ達

よもやキャンプ場で本気の勝負をすると思っていなかったおやじ達。さきほどの鍋振りで、おそらくは互いの力量をおおそよ見抜き、互角だと感じたのだろう。料理が完成し、束の間の休息を味わっている。相手に視線を向けないが、逆にそのことで、強烈に相手を意識しているのが伝わってくる。この辺の表情、目配せは一級品である。

図3-13:次の勝負を思いついたおやじ

先ほどの料理は互角だったので、次の勝負を思いついたおやじ。イカツイおやじの方には目も向けないが、確実にこちらの動向を察知していることを分かったうえで、これ見よがしにご飯をテーブルに置く。ちなみにさきほど作った1品目は、両者ともまだ半分も食べていない。

図3-14:驚くイカツイおやじ

おそらく、イカツイおやじは引き分けと考えていたのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。2品目を作り始めようとするおやじを見て虚を突かれる。この勝負に乗るか否か、物語の岐路である。

改めて考えてみると、勝負をしなければならない理由は特に無い。というか、勝負はしていない。ここまで一言もセリフが無く、ただ2人のおやじが各々料理を作りキャンプを楽しんでいるだけである。他人にはそう見える。しかし、言葉が無くてもコミュニケーションは可能で、いや、根源的なコミュニケーションはそもそも言葉が無くても伝わるものである。

言ったから分かるっていうのは、傲慢なんだよ。
言った本人の自己満足、言われた奴の思い上がり、いろいろあって、話せば必ず理解し合えるってわけじゃない。
だから、言葉が欲しいんじゃないんだ。

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言語が発達した現代、我々は高密度で広範囲な情報伝達が可能となった。大人になるにつれて、自分の意思や考えを表現するのに適切な語彙も覚えていく。本に書いたり、Webで公開すれば、不特定多数へ情報伝達もできる。大事な取引は書面に言葉で記す。素晴らしい文明だ。

だが、言語が発達した一方で、仕草や表情、声色などから相手の心理や感情を読み取る能力、あるいは読み取ろうとする努力が疎かになっているのではないだろうか。全てを言葉にして言ってくれる人間はそう多くはない。言うまでもないことは言わないし、大事なことは口にしないものだ。

図3-15:勝負を受けたイカツイおやじ

悩んだ時間はそう長くはなかった。勝負を受けることにしたおやじ。
そりゃそうだ。自分とおそらく互角の腕を持つライバルと同格であり続けたいという意思が、彼を突き動かす。

図3-16:今度は俺のターン

2品目も、やはり互角で勝負がつかなった様子。一口食べて、今度はイカツイおやじが新たな勝負を仕掛ける。

図3-17:動向が気になるおやじ

まだやる気なのか、という表情で、イカツイおやじの動向に全集中するおやじ。

図3-18:エビを見せつけるイカツイおやじ

保冷バッグから取り出したのはエビ。明後日の方向を見てエビを取り出すが、完全に主人公おやじに見せつけている。もはやこの2人の勝負は当人たちにとって始まっているわけだが、あくまで他人、それぞれが料理を作っているだけで、俺はこれからエビ料理作るわ、という戦線布告を行っている。持ってるならお前も作ってみな、という表情。

図3-19:エビが無いことに絶望したおやじ

エビは持ってこなかったのだろう、苦虫を嚙み潰したような表情をみせるおやじ。2品目を食べるのを完全に止め、悔しがる。
同じものを作れないという悔しさと、自分と互角の腕をもつであろう彼と競い合えないという2つの悔しさが彼を襲う。

図3-20:猫を追い払うおやじ

そんな中、料理に集中するイカツイおやじのテントに、餌を求めて野良猫が近づいてきた。
下衆な人間ならば、猫にテントを荒らされる様を見て笑うのだろう。しかし、主人公おやじは猫を追い払う。
ここで、劇中初めてのセリフが出る。

「んあ」(猫を追い払う声)

彼がしたいのは、気に食わない奴が不運に見舞われた姿を見てあざ笑うことで自分の優位性を確認することではない。真剣に料理をする者に、何人たりとも邪魔をすることは許されない。おそらくは向こうも料理人、その腕で競い合いたかったのである。

図3-21:急接近したおやじ達

意図せず急接近してしまうおやじ達。軽い会釈だけして去ろうとする主人公おやじの背中に、イカツイおやじから劇中2セリフ目が出る。

「ん!」(イカツイおやじが呼び止める声)

図3-22:エビを渡すイカツイおやじ

「ん!」そう言ってエビを渡すイカツイおやじ。お前は、となりのトトロのカンタか。

猫を追い払ってくれたお礼、という体だが、猫がいなければこの取引は行われなかったろう。イカツイおやじもまた、エビ料理で勝負したいと思っていたはずである。猫というきっかけが、彼らを近づけた。

エビを介しての握手、いや第3ラウンドの鐘が鳴る。急いで持ち場に戻る主人公おやじ。そして3品目、エビチリを作っていく。

図3-23:昔の自分へ

鍋振りが加熱する中、主人公おやじの姿は、ありし日のコックになっていた。鍋を振れば、体が思い出す。

図3-24:同じ食卓にて

今度は同じ食卓にて。これまで作った1, 2品目は次の勝負に忙しかったため、ほとんど一口しか食べいないので、3種類の料理がそれぞれ並ぶ。

図3-25:突撃!となりのエビチリ

あんたのエビチリ、味見させてくれ。いい笑顔だ。

図3-26:俺も突撃!となりのエビチリ

主人公おやじも気になっていたイカツイおやじのエビチリをもらう。料理の腕はやはり互角だったようだ。

図3-27:おもむろに取り出した1枚の写真

イカツイおやじが、おもむろに写真を取り出す。そして、劇中初めて意味のある言葉を発する。

「家族。」

写真は少し古いように見える。彼の奥さんと子供だろうか。一緒に暮らしているのだろうか。いろいろな疑問が湧いてくるが、主人公おやじは暫く写真を見て微笑みを返す。

そう。野暮なことは聞くものではない。写真に写っている人物が奥さんかどうか、一緒に暮らしているかいないか、生きているか亡くなっているか、そんなことは重要ではない。いずれにしても、彼にとっての大事な人という事実は変わらないのだから。

図3-28:主人公おやじの家族

主人公おやじも、自分の家族の写真を見せる。

「家族。」

図3-29:帰り際に渡された寝袋

イカツイおやじの帰り際、思い出したように寝袋を取り出し、主人公おやじに渡す。

「な、なんが?」(メーカ名のNANGA)

意味の分からない贈り物に戸惑う主人公おやじ。必要になるから、という表情で去っていくイカツイおやじ。

図3-30:受付に佇む女性

その後、受付に佇む女性に気が付く。おそらくはイカツイおやじがくれた寝袋の理由。次話で明らかになるだろう。

「んあ」
「ん!」
「家族。」
「な、なんが?」

この人たちは3文字しか喋られないのだろう。

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